アメリカの黒人(少なくとも黒人男性)の選挙権が最初に認められたのは1870年。しかしその後100年近く、黒人の選挙権は組織的に妨害されていた。白人で構成される選挙権登録機関では、黒人が有権者登録にいくと理不尽なほど難易度の高いテストを課し不合格にしたり、投票税を施行して貧しい人々が選挙権を得るのを妨げたりしていた。
1965年の時点で、アラバマ州のいくつかの郡では、過去50年間にただの1人の黒人も選挙に参加していなかった。 監督のエヴァ・デュヴァネイは語る。「私は、本作のリサーチに取りかかって、初めて“選挙権”の本当の意味を理解したの。選挙権がなければ、陪審員にもなれない。当時は黒人が殺されても、殺人を犯した白人は誰一人有罪にならなかった。それは裁く人間が白人だからよ」
そして、遂にこの企画に魂を吹き込んだ3人が集まることになる。低予算映画『Middleof Nowhere』(12)でサンダンス映画祭の監督賞を受賞した新進気鋭の女性監督エヴァ・デュヴァネイ、キング牧師を演じるのは使命だと信じ、この企画を数年間注視していた俳優のデヴィッド・オイェロウォ、そして熱心なサポートで企画を結実させたオプラ・ウィンフリーだ。
オイェロウォは、『Middle of Nowhere』でタッグを組んだデュヴァネイについて、こう語る。「彼女はストーリーを扱う手腕や、人間としての僕らの本質の捉え方が本当にパワフルなんだ」 オイェロウォはデュヴァネイと出会ったのと同時期に、オプラ・ウィンフリーとも知り合っていた。2人はリー・ダニエルズ監督の『大統領の執事の涙』(13)で共演しており、その際に彼はキング牧師を演じる夢について彼女に語った。「すると彼女は“何としても実現させなきゃ”と言ったんだ。そのためには、彼女は必要なことは何でもすると言ってくれた。それがロケット燃料だったね。その瞬間から企画にギアが入った」
ウィンフリーは当時をこう振り返る。「デュヴァネイとオイェロウォに手を貸す機会を見逃すなんてできなかった。この物語は、とりわけ今語られる必要がある。私がこの映画に参加した理由は、人は自らの過去を知らなければ未来を知ることができないからよ」
キング牧師について知れば知るほど、オイェロウォの彼を演じたいという気持ちは強くなった。英国人であることで客観的に見るための距離を保つこともできた。「僕は神格化されたマーティン・ルーサー・キング像を習って育ったわけじゃない。だから地に足の着いた人間として、役柄を捉えることができたんだ」と彼は言う。
オイェロウォはキング牧師を演じるために肉体を改造。体重を増やし、キング牧師のおなじみのシルエットを再現するために髪の毛を刈り込んだ。さらに牧師の世界中で知られるカリスマ性に溢れたスピーチを身に着けていった。「自分のエネルギーではあんなスピーチはできない。どんなに俳優としての能力があったとしてもね。キング牧師がやったようにやるしかなかった。ある種のエネルギーの波動に乗るんだ」と彼は説明する。「こういう人物を演じる時にモノマネに終始することはできない。結局のところ、観客が見たいのは人間であって偶像じゃない。だからキング牧師という英雄でありながら弱点や欠点もある男の生身の姿を見つけることが僕の仕事だと思った。彼の声と身体に似せる努力もしたが、観客がキング牧師のスピリットを感じ取ってくれれば、僕の仕事は成功だよ」
デュヴァネイはキング牧師になりきろうとするオイェロウォの努力に感動した。「デヴィッドは全身全霊で取り組み、あらゆる感情を表現し、どんなことにも挑戦していた。自分のアイデアを持っているけど、他人を信用する度量もある。政治や歴史にも通じていて、みんながこれは自分の物語なんだと感じられるように、その知識を共有することを望んだ。実際にそうしたわ。監督にとって彼以上の俳優はいないわね」
キング牧師と一緒に闘ったジョン・ルイス議員が撮影現場を訪れた時、 彼も心から感動したという。衣装を着たオイェロウォを見た瞬間、彼は大声で言った。「キング牧師、お久しぶりです」
「キング牧師の死後50年の間に、彼を主役にした長編映画が1本も作られなかったというのには、唖然とするわ。でも今ここまで辿り着くことができて本当に良かった。私たちは、キング牧師というと聖人的なイメージを思い浮かべがちね。でも彼はまず1人の人間だった。周囲と複雑な関係を持つ、きわめて人間くさい人間だったの。そして、私たちが今日享受している自由のために闘って、39歳で亡くなった1人の男だった。彼の神話化された人物像を解きほぐせば、彼の精神力は、私たちが自らの内に持つものなんだと気がつくはずよ」デュヴァネイはそう語る。
キング牧師を演じたオイェロウォは、リサーチの過程で多岐にわたる公民権運動の英雄たちと会い、知られざるキング牧師の姿に光を当てることに成功した。「キング牧師と非常に近しい存在だったアンドリュー・ヤング国連大使と会うことができたのは最高の栄誉だ。彼はいかにキング牧師がユーモアにあふれ、イタズラ好きで、笑うことが好きな人だったかを語ってくれた。そして、彼らがいかに答えのない闘いをしていると感じていたかということも。大使の話では、彼らは一介の牧師に過ぎず、目の前に立ちはだかる不正と闘っていただけで、人々が想像するような尊大な人物ではなかった。若者がするように、なんとか生き抜いていたんだ。でも重要なのは、彼らは課題を前にして逃げ出さなかったということだ」
デュヴァネイは、一連の出来事を、当時その場にいた人々が覚えている通りに描こうとしたと語る。「私は真実を語ることに全力を尽くしたわ。実際に起こった出来事や、その場にいた人々は、どんな創作より魅力的だから。この映画には、断片を寄せ集めたような人物は1人も出てこない。映画に出てくるあらゆる人物は、実際に生きて、実際に闘って、実際にこれらの物事を成し遂げたの。私は彼らの心の在り様を捉えようとしている翻訳者のような気分だったわ」
当時、FBIはキング牧師の一挙手一投足を監視しており、彼の日々の生活から、人生の決定的瞬間までを記録した17,000ページに及ぶファイルが現在も残されている。このFBIの監視記録を元に書かれた脚本は、最終的に1963年にバーミングハムで起きた悲劇的な教会爆破事件から1965年8月の投票権法成立までを追うものとなった。
またストーリーは、大統領からセルマの家政婦まで、社会のあらゆる階層を関連づけて万華鏡的に描き上げており、脚本がこのような広がりを見せたことにより、本作は、政府が道徳的にふるまうことを余儀なくされた物語、苦しい現実への抵抗の物語、公民権運動の指導者たちの戦略と駆け引きに対する賛歌、または長らく続いてきた白人至上主義を打破する闘争の物語と、歴史のどの時点にも関連性を見出すことのできる作品へと仕上がっている。
ウィルキンソンはジョンソンの人物像について限定的な知識しか持っていなかった。「ジョンソンのモノマネをするのは間違った判断だと思った。モノマネは集中力をそぐ。だから監督にモノマネに興味はないと言われて、興味を持った。ジョンソンの人間性を信じることができる程度に彼らしさを再現できれば十分だと思ったよ」 キング牧師たちの前に立ちはだかった最も非情な壁はアラバマ州知事のジョージ・ウォレスである。後年に後悔の念を表明しているが、当時のウォレスは筋金入りの人種隔離主義者で、そのことを公言していた。1962年、彼が圧勝した選挙戦の就任演説は次のようなものだった。「今日も人種隔離政策、明日も人種隔離政策、永遠に人種隔離政策を!」
甚だしく愚かな偏見にもかかわらず、ウォレスは南部のプライドを体現する政治家だと見なされた。本作でウォレスを演じるのはアカデミー賞にノミネートされたこともあるティム・ロス。彼は言う。「テレビで彼を見て、信じられないほどの悪党だとしか思ったことがなかったので、どんな人物なのかを探るのは面白そうだと思ったんだ」
彼は完全に役に没頭したが、自分が発している言葉がどれほど人を傷つけるかということには明確な自覚を持っていた。「初めてデヴィッド・オイェロウォに会った時、僕は極めて差別的な発言をするシーンを演じていた。デヴィッドはキング牧師の衣装を着て、その様子を見ていたんだが、ものすごく異様な光景だったよ」とロスは振り返る。
オプラ・ウィンフリーの演じるアニー・リー・クーパーは、保安官のジム・クラークに暴行され、自身と他の人達を守るため、保安官に右フックをお見舞いし、報道陣のカメラの前で地面に押さえつけられ逮捕された後、有権者として登録された。彼女が歴史に名を残したことがウィンフリーにとっては重圧だった。「私は彼女の真の姿を表現したかったの。公民権運動の立役者なのに、多くの人が彼女の名前を知らないんですもの。1度や2度、3度でなく何度でも投票し続けよう、何度拒否されても立ち向かおうという意欲があったからこそ、彼女は重要人物になったんだわ」
美術担当のマーク・フリードバーグは、大学でアメリカ史を専攻し、市民権運動を研究していた。プロデューサーのガードナーは言う。「私たちが本作のために人を探していたら、『それでも夜は明ける』(13)の美術を担当したアダム・ストックハウゼンが“それならフリードバーグ以上に相応しいやつはいない”って言うの。マークは、お婆ちゃんからもらったキング牧師のサイン入りの本まで持っていたのよ」
フリードバーグにとって最も重要だったのは、エドマンド・ペタス橋を1965年らしく見せることだった。州と地元警察がモンゴメリーへのデモ行進を阻止し、警棒や催涙ガスで群衆を痛めつけ、その日が「血の日曜日」と名付けられた象徴的な場所だ。フリードバーグにとって、血と涙の染みこんだ橋の上で撮影をすることは、身の引き締まることだった。「事件が起きたこの場所でこの物語を語ることは、非常にリアルで神聖なことだと思う」と彼は言う。「初めて橋で撮影した日、地元の人々やエキストラが泣いているのを見た。彼らは1965年に実際にそこにいた人々だったからだ。あれは何にも代えがたい経験だったよ」
衣装デザインのルース・E・カーターはこれまでにスパイク・リーの『マルコムX』(92)、スティーヴン・スピルバーグの『アミスタッド』(97)と2つの歴史大作でアカデミー賞にノミネートされている。「歴史に対する責任を感じながら、真剣に仕事をするのはいいものよ。真実味を持って私たちの歴史を語り直すの」 衣装チームは、キング牧師が有名な写真で着ているほぼ全ての服に倣って、多くの衣装を手作りした。「生地やスーツの細部にいたるまで、たくさんの調査をしたわ。キング牧師はモノグラムが好きだとわかったから、いろんな物をモノグラムにしたのよ。彼はいつもシャープで立派だった。何もかもが伝統的で、控えめにお洒落で、靴もよく磨かれていたわ」と彼女は言う。
またカーターは、3度の行進が次第に明るく、存在感が増していくように衣装を構成した。「アメリカの国旗が頭にあったわ。モンゴメリーに到達する最後の行進までは、衣服に赤色を使わなかったの。その後に一転してたくさんの赤色であふれ返ったら、観客はそれまでと違う感情の高ぶりを感じるでしょう?」 出演者やスタッフ仲間と同じく、カーターはエドマンド・ペタス橋での行進シーンの撮影に深く心を動かされたという。「とても暑い時期だったのに、行進する人たちは皆、大きなコートを着ていたわ。それは暴行を受けるかもしれないからだと気づいたの。これは普通の映画じゃないと痛感したのはその時よ。その瞬間、私の仕事は衣装デザインだけではなくなった。あの場所で起こったことに大きな敬意を表すことが、私の仕事だと思ったの」